エッセイ

目次

論文の面白さと研究者の理想の育成方法2020年07月08日

1) はじめに


そう⾔えば学⽣時代から順天堂⼤学の助教として働きだした頃まで、引退したら晴耕⾬読の⽣活をして⼩説を書くのが夢だと周囲の⼈たちに時々⾔っていたような気がする。そんな発⾔の背景には、ある時期に集中して特定の⼩説家の本を読んできたという習慣があった。本来⼩説を読むことを⼤事な趣味の1つとしていたこともあり、⼤学院に⼊学して基礎研究の優れた論⽂を読んでから、「優れた論⽂は⼩説を読むよりも⾯⽩いし、かつ論⽂を書くということは1つの物語を作ることだ」と考えるようになっていた。また最近ではラボメンバーにはこの事を積極的に伝えるようにしている。優れた論⽂を読むことが、優れた⼩説を読むことよりも⾯⽩いと感じるのは、私だけではないと思う。


2) ⾯⽩い論⽂とは


それではどのような論⽂が⼩説より⾯⽩いのであろうか?40 年ほど前に團伊玖磨⽒の「パイプの煙」というエッセイ集を読んでいた時のことを思い出した。そのエッセイ集の中に「釣りをしている⼈」に寄ってくる⼈には2 種類の⼈間がいるという話が出てくる。1つは「釣りそのもの」に興味のある⼈であり、このタイプの⼈は「何が釣れますか」と聞く。⼀⽅で「釣りをしている⼈」に興味のある⼈は、「釣れますか」と聞くらしい。このようなことはサイエンスにも当てはまるかもしれない。サイエンスが好きな⼈たち(少なくともサイエンスに興味を持っている学⽣)には2つのタイプがあるような気がしている、1つはサイエンスそのもの(つまり研究や研究すること)が好きな⼈であり、もう1 つはサイエンスをしている研究者に興味がある⼈である。私が今回なぜDavid G. Schatz による⼀連の論⽂(1-3)とそれについてのエッセイ(4)を紹介しようとするのかというと、これらの論⽂が遺伝⼦再構成に関与するRecombination Activating Gene (RAG)1 とRAG2 と命名した遺伝⼦を同定したという歴史的な発⾒ということだけではなく、この発⾒がPhD を取得する前の2 ⼈の⼤学院⽣によって成し遂げられたという、誰が聞いても興味をそそられる話であるということが⼤きな理由である。


またこのクローニングのエピソードの中には我々がラボで直⾯する様々な問題や、研究の醍醐味、あるいは本来のメンターと指導される⼤学院⽣との理想的な関係を読み取 ることができる。周囲のうまくいかないだろうというアドバイスにも関わらず無謀とも思えるプロジェクトをスタートさせた勇気や、周囲のポスドクの冷ややかな視線にもかかわ らず、楽観的にかつユーモアを持って研究を黙々と継続して⾏ったSchatz ともう1 ⼈の⼥性の⼤学院⽣(Marjorie A. Oettinger)の精神⼒の強さ、それと彼らの研究をサポートした メンターのDavid Baltimore 博⼠との理想的な関係があったと思われる[Schatz のエッセイ(4)からは、メンターのBaltimore 博⼠がどの程度彼らの研究をサポートしていたかを読み取ることはできないが、少なくともこのリスキーなプロジェクトを中⽌させなかったこと、おそらく彼らの要求に応じて研究に必要な様々な試薬(ベクター、特殊な⼤腸菌や細胞など)を他の研究者から⼊⼿してくれていたことが推測される]。また2 ⼈がPhD を取得すると同時に他の⼤学で独⽴した研究者としてのポストを得て(おそらくいくら⽇本で優秀な⼤学院⽣でも、博⼠課程を修了してすぐに独⽴したポストにつくということはほぼ可能性がないと思われる)、現在も2 ⼈はそれぞれYale ⼤学とHarvard ⼤学で現役の教授として、RAG 遺伝⼦の研究を継続している。


本エッセイでは、まずRAG1 とRAG2 遺伝⼦のクローニングのあらましを紹介し、このエピソードから私が何を考え、我々のようなメンターが将来独⽴しようとする研究者をどのように教育していけばいいのかについて述べていきたい。


3) RAG1 の遺伝⼦クローニング


ハーバード⼤学医学部の学⽣であったSchatz が、Massachusetts Institute of Technology(MIT)のWhitehead Institute for Biomedical Research のBaltimore 博⼠の研究室でPhD 取 得のための研究を開始したのは1985 年であった(ちなみに私が⼤学の医学部を卒業したのは1984 年であり、1984-1985 年の2 年間は周囲の同級⽣と同じで、いちじるしく効率の悪い国⽴⼤学医学部の付属病院で臨床研修を⾏なっていた)。1970 年代後半にはすでに利根川進博⼠が抗体遺伝⼦で遺伝⼦再構成が起こることを証明しており、その遺伝⼦再構成を担う酵素を同定しようと世界中の研究グループがしのぎを削っていた時期であった。遺伝⼦再構成という複雑なステップを担う酵素は、当然のごとく単⼀の酵素により担われていると考えにくく、タンパク質の精製を指標とした酵素同定の試みや、サブトラクション法でリンパ球特異的に発現する遺伝⼦を同定する⼿法などが⾏われていたものの遺伝⼦の同定はうまく⾏っていなかった。Schatz はこのような状況の中でBaltimore 研究室でV(D)Jrecombination [V(D)J 遺伝⼦再構成]に関与する遺伝⼦(後にRAG1 およびRAG2 と命名)を同定するという無謀なプロジェクトをたった⼀⼈で開始することになった。


彼にとって幸運だったのは、まず①研究室の別の⼤学院⽣がちょうどその前年に、Vk-Jk遺伝⼦の中に抗⽣物質耐性遺伝⼦を逆向きに挿⼊した⼈⼯的な遺伝⼦断⽚を、遺伝⼦再構成の起こっている細胞に導⼊すると、遺伝⼦再構成に伴い抗⽣物質耐性遺伝⼦が順向きになり、抗⽣物質の耐性を獲得するというアッセイ系を確⽴していたことであった (5)(図1)。 2 番⽬の幸運は、②ポスドクの⼀⼈が、ラボミーテングで抗⽣物質耐性遺伝⼦を逆向きに⼊れた発現ベクターを導⼊した細胞を⽤いれば、V(D)J 遺伝⼦再構成に伴い抗⽣物質耐性が出現するので、このことを指標にしてV(D)J 遺伝⼦再構成に関与する遺伝⼦ のスクリーニングができるのではないかというアイデアを出したことであった。そこで彼はB 細胞由来のゲノムDNA を遺伝⼦再構成の起こっていない線維芽細胞に導⼊することにより、同定するという戦略を取ることにした。後にわかることだが、3 番⽬の幸運は③彼が外来遺伝⼦の導⼊⽅法としてcDNA ライブラリーをtransfection する⼿法をとったのではなく、ゲノムDNA のtransfection を⽤いたことであった。ここまでで少なくとも3 つの幸運が重なったことになる。


4) ゲノムDNA transfection によるV(D)J 遺伝⼦再構成活性を持つ遺伝⼦座の同定


線維芽細胞でV(D)J 遺伝⼦再構成を起こさせるためには、当然V(D)J 遺伝⼦再構成が起こっているリンパ球で発現している1個あるいは2 個以上の遺伝⼦が導⼊されることが必要だと容易に想像がつく。ここで重要なのは、1個なのか、2個以上なのかであり、仮に1個であるならば通常⾏われるcDNA ライブラリーのtransfection で遺伝⼦を取ることが可能である。しかし仮に2個以上の遺伝⼦が必要であるならば、cDNA ライブラリーのtransfection による相補的スクリーニングで遺伝⼦を同定することはほとんど不可能に近い。なぜなら少ない頻度でしか存在しないであろうV(D)J 遺伝⼦再構成に関与する2個以上の遺伝⼦が、偶然にも1個の細胞に導⼊される確率は、天⽂学的に低い数字だからである。V(D)J 遺伝⼦再構成という複雑な現象を考えると、当然のごとく単⼀の遺伝⼦だけでこの現象を誘導できるなどと考えるのは妄想に過ぎないと思われていた。このような状況の中で、メンターの保守的なアドバイスを無視して、David G. Schatz は遺伝⼦導⼊による相補的スクリーニングをスタートさせることになった。今から考えると最も幸運だったのは、前述したように彼がcDNA ライブラリーのtransfection ではなく、その当時隣のラボ(オンコジーンの研究で有名なRobert A. Weinberg 博⼠の研究室)でよく⾏われていたゲノムDNA(〜100 kb サイズのDNA)のtransfection 法を⽤いたことであった。もしSchatz がcDNA ライブラリーのtransfection を⾏なっていたとするならば、決して成功していなかったであろう。なぜなら結果的にはV(D)J 遺伝⼦再構成を誘導するには1個の遺伝⼦では不⼗分で、RAG1 とRAG2 と命名された2個の遺伝⼦が必要であり、cDNA ライブラリーのtransfection で同⼀の細胞にこの2 つの遺伝⼦が⼊る可能性は限りなく低かったからである。このように幸運もあってSchatz はゲノムDNA のtransfection によりV(D)J 遺伝⼦再構成の活性を有する1 つの遺伝⼦(正確に⾔えば1 つのゲノムの遺伝⼦断⽚あるいは遺伝⼦座)を同定することができた (1)。


5)RAG1 遺伝⼦の同定


途中からMarjorie A. Oettinger という⼤学院⽣がこのプロジェクトに参加し、彼⼥の存在があって初めてRAG1 遺伝⼦の同定と、それにひき続くRAG2 遺伝⼦の同定という歴史的な発⾒がなされることになる。この歴史的な発⾒がポスドクでもない、2 ⼈の⼤学院⽣により成し遂げられたわけである。2 ⼈は常に楽観的でありかつユーモアを持ちつつ、様々なクローニング⼿法を試みていった。⼀⽅でその当時のラボの周囲の⼈たちの雰囲気は、決して2 ⼈の研究に対して好意的なものではなかった。その当時の周囲の雰囲気を隣のラボのポスドクの発⾔「すると君が例のアーチファクトの論⽂をCell に発表した⼈なんだ」が端的に表しており、多くの⼈たちは「彼らはありもしない架空の遺伝⼦を追いかけている」と考えていた。


もっとも困難だった点はゲノムの中から、transfection により導⼊されかつV(D)J遺伝⼦再構成に関与するゲノム断⽚を⾒つけ出すことであった。様々な⽅法が試された後に、transfection に使⽤するゲノム DNA にオリゴヌクレオチドタグ(⼈⼯的に合成した数⼗塩基からなる⽬印)を付加し、さらに遺伝⼦組換え活性の⾮常に低い特殊な⼤腸菌をホストとして⽤いることで、V(D)J 遺伝⼦再構成活性を有する導⼊されたゲノム断⽚の⼀部をクローニングすることができた(図2)。そこからgenomic walk をする(当時は現在のようにヒトゲノムは解読されておらず、どの染⾊体のどの場所にどのような遺伝⼦が存在するかもわかっていなかった)ことにより、最終的には遺伝⼦を同定し、塩基配列を決定することに成功した(図2)。この遺伝⼦はリンパ球やV(D)J 遺伝⼦再構成の活性の⾼いtransfectants でmRNA の発現が⾼いことも確認され、Recombination Activating Gene (RAG1)と命名された (2)。


6) RAG2 遺伝⼦クローニング


RAG1 遺伝⼦の同定だけでは話は終わらなかった。RAG1 遺伝⼦を発現させるだけでは、⾮常に弱いV(D)J 遺伝⼦再構成活性しか誘導できないことが判明し、2 ⼈は再び混迷へと突き落とされた。その後様々な可能性が検討された結果、驚いたことにRAG1 遺伝⼦の近傍(数キロベース離れた場所)に第2 の転写ユニットが存在していることが明らかになった(図3)。この遺伝⼦をRAG1 と同時に発現させることで、V(D)J 遺伝⼦再構成活性が⾮常に強く誘導されたことからRAG2 と命名され、遺伝⼦再構成にはRAG1 とRAG2 の2つの遺伝⼦は必要であることが初めて明らかとなった (3)。2⼈はその後PhD を取得してMIT を去り、かつ医者になることをやめてそれぞれ独⽴した研究室を持つことになった。


7) RAG1 とRAG2 遺伝⼦の進化


何故RAG1 とRAG2 遺伝⼦が⾮常に近接してゲノム上に存在してるのであろうか?これは単に天⽂学的な偶然が重なっただけなのであろうか?不思議なことにRAG1 とRAG2 遺伝⼦の中でタンパク質をコードする領域は、単⼀のエクソンから構成されていた。マウスRAG1 およびRAG2 タンパク質がそれぞれ1008 個および527 個のアミノ酸から構成されていることを考えると(図3)、このような⽐較的⼤きなタンパク質が単⼀のエクソンから構成されるのは珍しいことだと思われる。その後の研究で驚くべくことが判明した。2つの遺伝⼦は、ヤツメウナギなどの無顎類(Jawless vertebrates)には存在せず、顎を持つ脊椎動物(Jawed vertebrates)には存在することから、進化の過程で外部から⼊ってきたトランスポゾン由来の遺伝⼦であると考えられた。当初はRAG1 とRAG2 遺伝⼦の両者がトランスポゾン由来の外来性の遺伝⼦と考えられていたが、最新の研究から、宿主にもともと存在していたRAG2 様遺伝⼦の近傍にトランスポゾン由来のRAG1 様遺伝⼦が⾶び込み、両⽅の遺伝⼦が進化の過程でそのまま保持されたと考えられている (6)。また現在ではナメクジウオなどの頭索動物(Cephalochordates)やウニなどの棘⽪動物(Echinoderms)にもRAG1 様遺伝⼦とRAG2 様遺伝⼦が存在することが明らかにされている。この2 つの遺伝⼦により、我々の細胞は遺伝⼦再構成を起こし、膨⼤な数の抗体遺伝⼦やT 細胞受容体遺伝⼦を準備することができるようになったとすると、我々は何と巧妙に進化してきたのだろうと想をめぐらさずにはいられない。


8) このエピソードから我々は何を学べるか?


RAG1 とRAG2 遺伝⼦のクローニングは単に幸運が重なっただけだろうか?研究のキーワードとしてよく出てくる⾔葉に、Serendipity (セレンデイピテイ)という⾔葉がある。この⾔葉の定義は、「⽬的のものをみつけようとしていて、偶然にも⾒つけようとしていたもの以上に重要なものを発⾒する事。あるいは⾒つけようとしていたものが、まったく別の⽅法でみつかる事。」というようなものである。David G. Schatz らの遺伝⼦クローニングのハイライトはやはり、最初に同定したRAG1 遺伝⼦の数キロベース離れたところに、V(D)J遺伝⼦再構成活性を発揮するために必要なもう⼀つの遺伝⼦(RAG2)が存在していたことであることは間違いない。普通ある特定の酵素活性を発揮するのに必要な2 個の遺伝⼦が、ゲノム上の近傍に存在する確率は、遺伝⼦重複などによって遺伝⼦数が増える場合などを 除くと⾮常に低いはずである。また、ゲノムDNA のtransfection を⽤いなければ、RAG1とRAG2 遺伝⼦の同定はうまくいかなかったであろう。しかしこのようなことを考慮しても、彼らの仕事が単なる幸運の積み重ねの結果であるとは私は考えない。Serendipity についての著書のあるMorton A. Meyers は「Serendipity は、予想と反する結果が出た時にその結果をバイアスをかけずに⾒る洞察⼒と、予想外の結果の価値を⾒抜く能⼒が必要である。」と述べている (7)。2 ⼈のエピソードは⾃分たちの実験結果を信じ(私は常々「⾃分のデータを⾃分で信⽤できないのであれば、他⼈に⾃分のデータを信⽤させることは絶対にできない」と思っている)、常に楽観的に振る舞い、かつ周囲のnegative な意⾒や雰囲気をものともせず(positive な意味での鈍感⼒)、果敢に挑戦することの重要性を物語っている。


またこのエピソードは、優秀な⼤学院⽣あるいはポスドクを指導する場合には、いい研究テーマを与え、その後は⾃分の好きに研究をやらせ、アドバイスを求められたときに適切なアドバイスをすることがメンターとしての仕事であるということを⽰していると思う。往々にして⽇本の研究室(外国でもそのような研究室は多数あると思うが)では⼤きなテーマを複数の⼤学院⽣、ポスドクにやらせて⼤きな論⽂を執筆するというスタイルが存在する。確かにそのようなスタイルの⽅が効率的に論⽂を量産できるかもしれない。しかし、将来的に⾃⽴できる研究者を育成するには、みんなが同じ⽅向を向いているとい う⼀⾒効率的なラボ運営をするのではなく、極論すれば研究テーマだけを与えて好き勝⼿に実験をさせるのが、最も⾃⽴性がありかつ独⽴性を有する研究者を育成する⽅法ではないかと思えてくる。


9) ⾃分の研究⽣活を反省すると


それでは⾃分のこれまでの研究⽣活を考えてみて、何が良くて何が悪かったのであろうか。私は医学部を卒業し、その後5年間臨床医として働き、2年間病理を勉強するために研究所に勤務し、その後に分⼦⽣物学を学ぶために⼤学院に⼊学した。⼤学院時代の4年間は教授のメインプロジェクトとは異なった仕事をやっていたこともあり、⾃分でもやっている研究がそれほど重要な研究だという実感もなく、かつ満⾜できる論⽂や研究成果を得ることなく過ごした。今から思うとこの4年間は、⾃分の⼈⽣の中で最⼤の危機だったと思う。努⼒が報われる臨床医としての⽇々と決別して、基礎研究を始めて⾒たところ、⽇々 の努⼒にも関わらず実験は遅々として進まず、⾃分の実験の不備を徹底的に批判されるという、これまで私の⼈⽣の中で経験したことのない⽇々であった。毎週⾏われた個別の討論では、陽性コントロールと陰性コントロールが必要なことを徹底的に教え込まれた。またどれだけ考えても、⾃分の仮説が間違っていれば陽性の結果が得られないことを⾝にしみて感じることができた。この時期のトレーニングは医学部卒で、基礎的なトレーニングを受けていない⾃分にとっては、修⼠課程でのトレーニングをしていたようなものだったのかもしれない。しかし、その中でも数少ない実験の喜びを経験できたことが、その後の⾃分の研究⽣活に繋がっていると思う。


その後私が助教として赴任した当時の順天堂⼤学医学部免疫学教室は、国内留学⽣、⼤学院⽣、スタッフなどが⼊り混じっており総勢で40〜50 ⼈ほどの⼤規模なラボであった。⼈数の割には実験スペースは⾮常に狭いラボであり、ラボの雰囲気はカオス的な状況であった。赴任した当時はとんでもない研究室に来てしまったと後悔する毎⽇であったが、今から思うと奥村研のスタイルは、早くからメンターに頼らずに独⽴した研究者としての⾃覚を持つという意味では、私にとっては良かったのかもしれない。私がこれまで⼤学院⽣やポスドクを指導してきて反省しなくてはならない点は数多い。例えば、実験をな るべく早く進めるために、本⼈の⾃主性を無視して無理やりある⽅向で実験をやらせた場合が多々あり、このような場合には、ある程度実験は進むかもしれないものの、予想外の発⾒に遭遇する可能性はほぼゼロであり、結局のところ予想した以上の実験結果は得られなかった。また指導した⼤学院⽣や博⼠研究員を⾃⽴した研究者として育成することができたかについては、甚だ疑問が残る。如何に⾃主性を持って実験をやらせるか、その中で予想した結果と異なる結果が出た場合に、その実験結果を何のバイアスもかけずに素直に解釈して、次のステップにいけるかが最も研究者にとって肝⼼な点だと思っている。


10) ⼤学院時代に何を学ぶのか


それでは研究者として独り⽴ちできるだけの考え⽅をいつ⾝につけることができるのであろうか?これを⾝につけられるとしたら修⼠課程の時期、あるいは博⼠課程でしかあり得ない。しかし、現在の少なくとも医学部の博⼠課程の場合には、この研究者の考え⽅を⾝につけるというような本来の⽬的よりも、とりあえず何でもいいから論⽂を⼀つ筆頭著者で執筆して博⼠号を取得したいという⼤学院⽣が多い。ノーベル医学賞を受賞したG タンパク質共役受容体の研究で有名なRobert J. Lefkowitz 博⼠は、コーベルメダル賞を受賞した時の講演で、医者になってからNational Institute of Health で2年間初めて研究に従事した時のことを以下のように述べている (8)。「それまで医学部の学⽣時代から、実験というものを避けてきた私は、基礎的な実験の知識も経験もなく、実験は失敗の連続であり遅々 として進まなかった。そのような状況で私は2 ⼈の優れたメンターに巡り合った。⼀⼈のメンターは、私のことを⿎舞してやる気を出させてくれ、⼀⽅でもう⼀⼈のメンターは私の実験に適切なコントロール実験のないことを容赦無く指摘し、結論を導き出すことのできない実験だと徹底的に批判し、常に私を奈落の底につき落とした。」彼のそれまでのプライド(彼は成績優秀で⾶び級をしていた)は⽊っ端微塵に打ち砕かれたが、2年間の研究⽣活は、彼の⼈⽣を⼤きく変えることになった。その後のMassachusetts General Hospitalでのクリニカルフェローとしてのトレーニング期間に、彼は「実験結果⽋乏症」(このような病気はないと思う)に陥り、本来「クリニカルフェローは実験に従事してはいけない」と⾔う内規を破ってまで実験を⾏い、その後⽣涯を研究に捧げることになった。多⽥富雄先⽣(私のメンターの奥村康教授も斎藤隆教授も多⽥先⽣の弟⼦であり、私は孫弟⼦に当たる)の恩師である⽯坂公成博⼠が⼤学院時代の教育で最も重要なことは、「インパクトの髙い雑誌に論⽂を書くことではありません。最も重要なのは⼀⼈⽴ちできる研究者になるための基礎となる科学的考え⽅を⾝に着けることです。」と⾔うことを述べている (9)。


11) 理想的な研究者の育成⽅法とは?メンターは何をしてはいけないのか?


以上を総合して考えると、理想的な研究者の育成⽅法とは次のようなことになるのではないだろうか。修⼠課程や博⼠課程の最初の2年間程度は、徹底的に実験の基礎(なぜこのコントロール実験が必要なのかなど)および⾃分の⾏っている実験の意義について、深く考えさせるトレーニングをすることだろう。また批判的に論⽂を読むことのトレーニングも重要だと思う。これらのトレーニングを通じて要求される⽔準に達しない学⽣(つまり主体的に⾃分で考えることのできない学⽣)は、将来的に研究者として⾃⽴できる可能性は⾮常に低く、進路を変えたほうがいい。もちろんこの時期に論⽂を出す必要はないと思う。逆にメンターがこの時期にやってはいけないことは、ラボ全体として論⽂を量産するために、学⽣に実験の意味も説明せずに、⼤きなプロジェクトの中の⻭⾞として働かせ、無給の技術員のように扱う事ではないだろうか? 「頭を使わなくてもメンターの⾔うことに従っていれば、論⽂が出る」と⼤学院⽣が考えてしまうとしたら、このような指導は⼤学院⽣に対する教育としては最悪の「刷り込み」になってしまうと思う(私もそういう「刷り込み」をしていたのかもしれない)。


最初のステップをうまくクリアした学⽣には、次のステップとしてテーマを与えて時々適切なアドバイスを与えることはあっても、あとは⾃分の考えで実験を勝⼿にやらせることだと思う。⼤学院時代に⼤きな論⽂を完成させることに越したことはないが、研究者としての⻑い⼀⽣を考えるのであれば、その時のプロジェクトが失敗に終わっても全く問題はないと割り切った⽅がいい。もし本⼈が⾃⽴した研究者としての資質が⾝についていれば、⼤きな仕事ができるかどうかは運も関係してくるが、着実に仕事を成し遂げて⾏くことができるだろう。


12) You cannot connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward


最近YouTube で、Steven P. Jobs (Steve Jobs)のStanford ⼤学での学位授与式のスピーチをたまたま聴く機会があった( https://www.youtube.com/watch?v=VyzqHFdzBKg)。彼はReed ⼤学という学費の⾼い私⽴⼤学に⼊学後にすぐ中退を決意したが、実際に中退するまでの間に⾃分の興味で、カリグラフのコースをとっていた。彼は「その当時は将来何の役に⽴つかわからなくて習得したカリグラフに関する知識が、10 年後に最初のMacintosh のパソコンの活字体を作成する時に突然蘇ってきた。もしカリグラフのコースを取っていなければ、Macintosh のパソコンは、今のような均等なスペースを有する美しい活字体を取り⼊れることはできなかっただろう。」という話をしていた。彼はその経験をconnecting the dots と表現しており、「将来を⾒据えてdots をつなぎ合わせることはできない、後からしかdots は繋ぎ合わせることはできない」と述懐している。


このことは誰にでも当てはまることだと思う。例えば私は⼤学院に進学する前に肺の病理の研究(私はもともと呼吸器内科の医者だった)をしたいと思い、所属していた呼吸器内科学講座の教授に直談判し、2年間清瀬の結核研究所というところで病理の研究員として働くことになった。しかしこの2 年間は私にとって筆頭著者の論⽂を1本も書くことができず、様々な⼈々にお世話になったものの、「このままここで免疫染⾊や病理解剖をやっていても病気の本体はわからない」という確信を得ただけだった。悶々とした⽇々を送る中で、私はある時、この閉塞状況を打ち破るには⼤学院に進学して、基礎研究をしなくてはならないという結論に達した。⼤学院進学後も、⼈⽣の中でこの2 年間にどの様な価値を⾒いだせるのだろうかとずっと悩んでいた。⼀⽅で私は⼤学院時代に主に培養細胞を⽤いた実験をしていたために、動物実験施設で感染が発⽣した時に、汚染した遺伝⼦改変マウスの世話をするという仕事が回ってきた。動物実験をしている⼈はクリーンなマウスを扱い⾃分の実験をしている中で、全くマウスの実験をしていない⼤学院⽣数名が汚染した環境に存在するマウスを維持するという教授の決定に対して、合理主義的な考え⽅の私は激しく反発を覚え、教授と⼝論になったのを覚えている。しかし⽪⾁なことに順天 堂⼤学に赴任してまもなく⾃分の同定した遺伝⼦の遺伝⼦改変マウスを作成するというプロジェクトを⽴ち上げることになり、この時に遺伝⼦改変マウスを取り扱っていたことが思いもかけず役に⽴つことになった。さらに2010 年頃から細胞死の亢進した遺伝⼦改変マウスを⽤いた研究が私のグループの主な研究テーマとなった。病態モデルマウスの解析をする時になり、免疫染⾊や病理の基礎を学んだ清瀬の結核研究所での2 年間の経験が私の中に急に蘇ってきた。まさにJobs が⾔うように「dots は後からしか繋ぎ合わせることはできない」ということを⾝に染みて感じることになった。このことは「⼈⽣において本当に無駄なことなど何もなく、その時々で⾃分のベストを尽くしていれば、必ずいつかその経験が役に⽴つようになる。」と考えて毎⽇を過ごすことの⼤切さを⽰している。


13) 終わりに


⽇本Cell Death 学会はコロナ感染拡⼤のために、初めて学術集会を中⽌するという事態に⾄っています。学会として何のイベントも⾏わずに、会費だけを徴収するのは不適切だと 考え、理事や⼀部の評議委員の⽅々に⼀連のエッセイの連載をお願いしており、私の記事もその⼀環です。コロナ感染拡⼤⾃体は本当に悲惨な出来事ですが、全ての学会や研究会 などが中⽌になってしまった現在の状況は、もしかしたらサイエンスそのものをじっくり考える時間が増えている⼈もいるのではないかと思われます。コロナ感染拡⼤により様々 な障害が⽣じている現状を、何とか乗り越えて⽇本Cell Death 学会員の⽅々の研究がさらに⾶躍することをお祈りいたします。またこの拙⽂が今後の⼤学院⽣教育の参考に少しで もなれば幸いです。


参考⽂献

  • 1.Schatz DG, Baltimore D. Stable expression of immunoglobulin gene V(D)J recombinase activity by gene transfer into 3T3 fibroblasts. Cell 1988;53:107-115.
  • 2.Schatz DG, Oettinger MA, Baltimore D. The V(D)J recombination activating gene, RAG-1. Cell 1989;59:1035-1048.
  • 3.Oettinger MA, Schatz DG, Gorka C, Baltimore D. RAG-1 and RAG-2, adjacent genes that synergistically activate V(D)J recombination. Science 1990;248:1517-1523.
  • 4.Schatz DG, Baltimore D. Uncovering the V(D)J recombinase. Cell 2004;116:S103-106, 102 p following S106.
  • 5.Lewis S, Gifford A, Baltimore D. Joining of V kappa to J kappa gene segments in a retroviral vector introduced into lymphoid cells. Nature 1984;308:425-428.
  • 6.Carmona LM, Schatz DG. New insights into the evolutionary origins of the recombination-activating gene proteins and V(D)J recombination. FEBS J 2017;284:1590-1605.
  • 7.Meyers MA. Happy Accidents-Serendipity in Modern Medical Breakthroughs-. New York: Arcade Publishing, 2007.
  • 8.Lefkowitz RJ. A tale of two callings. J Clin Invest 2011;121:4201-4203.
  • 9.⽯坂 公茂. 我々の歩いてきた道. 東京: 黙出版, 2000.

著者プロフィール

1984年
千葉⼤学医学部卒業
1989年
財団法⼈結核予防会結核研究所病理 研究員
1995年
千葉大学大学院医学研究科 博士過程(内科系)修了
1995年
順天堂⼤学医学部 助教
2000年
戦略的創造研究推進事業「さきがけ」PRESTO 研究員(兼任)
2001年
順天堂⼤学⼤学院医学研究科 講師
2007年
順天堂⼤学⼤学院医学研究科 准教授
2014年
東邦⼤学医学部医学科 教授

理事⻑就任にあたり2020年06月19日

細胞死との3度の出会い

太⽥先⽣、三浦先⽣と偉⼤な先⽣⽅が理事⻑をされた後で、甚だ実⼒不⾜ですが、この7⽉から理事⻑を務めさせていただくことになりました東邦⼤学医学部⽣化学講座の中野でございます。


私と細胞死との初めての出会いは、⼤学院時代に遡ります。医者にはなったものの臨床医としての限界を感じ、1991 年に私は⼤学院に⼊ることを決意しました。⼤学院⽣として選んだ研究室はT 細胞のシグナル伝達の研究をしていた斎藤隆教授が主宰されており、全く細胞死とは関係のない研究室でした。しかしそこに⽶国のDNAX 研究所から新井賢⼀先⽣の研究室出⾝の宮武先⽣(現⿇布⼤学教授)が助教として赴任され、T 細胞ハイブリドーマで⾒られるactivation-induced cell death (AICD)と細胞周期との関連のプロジェクトを⽴ち上げられ、そのグループ(といってもスタートは2 ⼈だけ)に私が参加したのが細胞死との最初の出会いでした。その後1995 年にLa Jolla Institute for Allergy and ImmunologyにいたDouglas Green らがactivation-induced cell death の本体はTCR 刺激によりFasL が誘導され細胞⾃律的にアポトーシスに陥るという論⽂をNature に出し、結果的には細胞周期とactivation-induced cell death は直接は関係ないという結論になりました。その論⽂が出る前(1993 年)に⻑⽥研にいた須⽥先⽣(現⾦沢⼤学教授)によりFasL のクローニングがなされました。ただ、当時はアポトーシス研究の黎明期であり、哺乳類の最初のカスパーゼであるICE がYuan のラボにいた三浦先⽣によりクローニングされたのが1993 年で、アポトーシス実⾏のメカニズムの⼤部分はブラックボックスでした。当然ゲノムプロジェクトも始まっておらずマウスやヒトで全てのタンパク質をコードする遺伝⼦が何万個あるかもわかっておらず(⼀時は10 万個と⾔われていたこともありました)、かつEST のデータベースさえなかったような時代です。このような時代(1992 年)に本庶先⽣の研究室の⽯⽥靖雄先⽣(現奈良先端技術⼤学准教授)がT cell hybridoma をTCR で刺激してアポトーシスを誘導した時の細胞と、未刺激の細胞からRNA を調製してsubtraction library を作成し、アポトーシスに関係しているだろう遺伝⼦として同定された遺伝⼦がPD (Program cellDeath)-1 でした。今から思えばPD-1 は活性化したT 細胞で発現する遺伝⼦だったわけで す。PD-1 が今のような状況になるとは、その当時は誰も思っていなかったと思います。


なんとか別の仕事をまとめて学位論⽂として発表し、その後1995 年に順天堂⼤学医学部の奥村研究室の助教として赴任しました。赴任後はTRAF5 という遺伝⼦をクローニングし、TNF 受容体を介するシグナル伝達やNF-kB の活性化のメカニズムの研究をしていたのですが、John Reed 研に留学してその後⽇本に帰国された現京⼤教授の⾼橋良輔先⽣(⾼橋先⽣とは⽶国留学前から共通の知⼈を介して⾯識がありました)から1999 年の⽣化学会の細胞死関連のシンポジウムのシンポジストとして招待していただきました。細胞死のシンポジウムで発表させていただく機会を与えていただいたことで、私が細胞死研究を強く意識した2回⽬(2 度⽬の細胞死との出会い)になりました。


その後2001 年に当時医科⻭科⼤学の教授になられていた⼀條先⽣(現東京⼤学教授)から誘われて岡崎の⽣理研の岡⽥泰伸先⽣が毎年世話役として開催されていた「細胞死研究会」に誘っていただいたのが、細胞死との3 度⽬の、かつ私のその後の研究の⽅向性を決めた決定的な出会いになりました。「細胞死研究会」では⽇本の細胞死研究の中核を担っていた⻑⽥重⼀先⽣、辻本賀英先⽣、⽶原伸先⽣、鍔⽥武志先⽣、⾼橋良輔先⽣、⼀條秀憲先⽣、垣塚彰先⽣、三浦正幸先⽣、清⽔重⾂先⽣、仁科博史先⽣、後藤由季⼦先⽣らが参加されておりました。これらの⽅々の前で毎年30 分間⾃分の1年間の研究成果を発表することは胃が痛くなるようなプレッシャーでした。しかしこの研究会は私の⽇本における細胞死研究関連の⼈々との⼈脈を形成する上で⼤きな糧となりましたが、残念ながらこの研究会は岡⽥先⽣が⽣理研の所⻑に就任(2007 年)されご多忙になられたということで2009 年に消滅しました。


⼀⽅1992 年に⼭⽥武先⽣たちが中⼼となって発⾜したアポトーシス研究会は、1997 年に東海アポトーシス研究会と合併し、2009 年に太⽥先⽣の強いリーダーシップのも と⽇本Cell Death 学会へと昇格しました。岡崎の細胞死研究会に参加されていた⼈たちも、Cell Death 学会に参加することになり、現在に⾄っております。⼀⽅で、細胞死研究の新たなハブとなるべく細胞死に関する新学術領域の⽴ち上げは、毎年のように不採択となりながらも地道に継続され、⽥中正⼈先⽣のもとでようやく2014 年に新学術領域「ダイイングコード」が⽴ち上がり、私も微⼒ながら貢献させていただきました。残念ながらこの領域も2019 年3⽉で終了してしまい、現時点で細胞死関連の⼈々が参加し、討論できる場は⽇本Cell Death 学会のみになってしまいました。今後はこの学会をさらに発展させ、若⼿の細胞死研究者の育成や、広く研究者の⼈脈を広げる場としても盛り上げていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします(⽇本Cell Death 学会Newsletter Vol. 25)。


A FRET biosensor for necroptosis uncovers two different modes of the release of DAMPs2019年01月01日

Murai et al, Nat Commun 2018, 9:4457 (1).

1. はじめに

近年の研究から計画的細胞死にはアポトーシス以外の複数の細胞死が存在することが分子レベルで明らかにされてきており、ネクロプトーシスはその中でも最も研究の進んでいる細胞死である。ネクロプトーシスはTNFなどの細胞死を誘導するサイトカインや、poly(I:C)やある種のウイルス感染などによって誘導されることが明らかにされている。その実行因子はRIPK3と呼ばれるセリンスレオニンキナーゼと、それによりリン酸化され活性化して多量体を形成して細胞膜や核膜へと移行し、膜にポアを形成するMLKLとよばれる分子である。これまでアポトーシスやパイロトーシスをシングルセルレベルでモニタリングすることのできるFRETプローブは三浦らを含めて複数のグループにより開発されてきた。今回我々はネクロプトーシスをモニタリングできるFRETプローブの開発に成功し、幾つかの知見を得たのでここに紹介したい。


2. Fluorescence energy transfer (FRET)とは

FRETは多くの人が知っていると思われるが、簡単にその原理を紹介したい。CFPとYFPのように励起波長の異なる蛍光タンパク質はそれぞれ特異的な励起光を照射することで特定の波長の光を発することになる。しかし、非常にそれぞれの蛍光タンパク質が近接して存在する場合には(1-10 nm)、CFPを励起して生じたエネルギーがYFPを励起して、YFPの蛍光が検出される現象である。これまでYFPとCFPの間にカスパーゼによる切断配列を挿入することで、カスパーゼの活性化にともない挿入したペプチドが切断されることで、それまで生じていたFRETが消失するという現象を利用してカスパーゼの活性化をライブセルでモニタリングすることが可能となっていた。


3. ネクプトーシスに応答するFRETプローブをどのようにデザインするか?

ネクロプトーシスはアポトーシスのように活性化される特異的なプロテーアゼが存在しないことから、我々はRIPK3とMLKLの会合、およびそれにより誘導されるMLKLの高次構造の変化に注目することにした。これまでのX線構造解析の研究からRIPK3のキナーゼドメインがMLKLに会合することにより、MLKLのC末に存在するkinase-like (KL) domainの高次構造が変化することに着目し、いくつかのKL断片をYFP-CFPのリンカー配列に挿入したFRETベクターを構築し、マウス線維芽細胞に一過性に遺伝子導入し、ネクロプトーシス刺激を加えてFRET/CFP比が上昇するかをみる実験を開始した。このプロジェクトを立ち上げる上で最初の難関は、FRET解析をこれまで我々は経験していなかったことから、一過性にMEFsにFRET probeを導入した細胞を東大薬学部の山口先生のところに前日に持っておき、翌日にまた東大に行き細胞を刺激してFRETが誘導されるかどうかを検討するというステップを論文の筆頭著者の村井助教が繰り返さなくてはならないことであった。当初は何度やってもうまくいかず、山口先生とも相談してプロジェクトをやめようと考え、最期にネクロプトーシスの起こりやすい細胞として有名なL929細胞でやってみようとしたところ、予想外にうまくいくことがわかったのが、プロジェクトを開始してから既に1年半が過ぎようとしていた。


4. SMARTの誕生まで

当初a14と名前をつけたプローブでうまくネクロプトーシスに伴いFRETが誘導されたが、解決しなくてはならない問題が2つ残っていた。一つは安定的なシグナルを得るために恒常的な発現細胞を得ることと、2つめはFRETが起こるメカニズムの解明であった。どうもa14は細胞に毒性を発揮するために恒常的発現細胞が取れないらしいということがわかり、村井助教のアイデアで、アルファヘリックス構造を取る幾つかの領域を除いて、SAGGと呼ばれるリンカー配列に置換したベクターを構築したところ恒常的な発現細胞をとることができた。そこでこのFRETセンサーをSMART (a Sensor for MLKL activation by RIPK3 based on FRET)と命名した。その後マウスversionだけでなく、ヒトversionのSMARTの作成にも成功した。SMARTの活性化されるメカニズムはNec-1, GSK’872, NSA, Ripk3 siRNA, Mlkl siRNA, Mlkl KO細胞などのさまざまな実験を行い、現時点ではSMARTは多量化したMLKLの形質膜への移行をモニタリングしていると結論をつけている(2)。


5. SMARTとDMAPsの放出のイメージング

最期にDAMPsとネクロプトーシスとのイメージングの解析から得られた新しい知見について述べたい。DAMPsは一般的にはネクロプトーシスも含めて早期に細胞膜に障害が誘導されるような細胞死で放出されると考えられてきた。しかし、放出がどのように制御されているかについて、また細胞内に存在する核膜などの形質膜がどのように障害されるかについては十分に解明されていなかった。今回我々はHMGB1放出を一つのDAMPsのモデルとして、ネクロプトーシスに見られるHMGB1放出のメカニズムの解析を行った。この解析には東大の白崎先生らの開発したTIRFを用いたシングルセルレベルでのサイトカイン放出を検出することのできる技術(Live-Cell Imaging of Secretion activity : LCI-S)が威力を発揮することになった(3)。IL-1βなどのサイトカインの場合には高感度のELISA系が確立されていることから、シングルセルレベルで放出されたIL-1βをLCI-Sで検出できることを白崎先生らは報告していたが(4)、HMGB1の場合には複数の抗体を検討した結果、そのような高感度のEISAは現時点では組むことができないことが判明した。ここで障害にぶちあたったが、ある時にふと細胞にHMGB1-mCherry融合タンパク質を発現させ、さらにHMGB1の抗体ではなく、anti-mCherry抗体でマイクロウェルを固相化することでうまく検出できるのではないかというアイデアを思いついた。それを検証してみたところ予想外にうまくいくことがわかり、HMGB1の放出を1細胞レベルでイメージングすることに成功した。


6. HMGB1放出の2つのモードの発見

さらに興味深いことにL929-SMART/HMGB1-mCherry細胞を用いた解析からHMGB1の放出には放出開始から10分以内に消失してしまうburst-mode細胞と、放出の持続が120分も継続するsustained-modeの2種類の細胞が存在することが判明した。細胞膜の修復に関与すると考えられるESCRT-III複合体の1つのサブユニットであるCHMP4Bという遺伝子をノックダウンしたところsustained-modeを示す細胞が消失し、すべての細胞がburst-modeになることが明らかとなった。現在この生理的あるいは病理的な意義は不明だが、CHMP4Bはウイルスのbuddingに関連していること、CHMP4Bの発現はIFNなどにより発現が低下すること、IFNβはMLKLの発現を上昇させることなどを考慮すると、我々の細胞がウイルスに感染されネクロプトーシスに陥る時には、すべての細胞をburst-modeに変換して、周囲に強い炎症を誘導するというようなメカニズムが存在している可能性もあり非常に興味深い現象と考えられる。


7. 最後に

このプロジェクトで中心的に仕事を行った村井助教も私もFRETのノウハウも知識も持たないまったくの素人の研究者であり、新学術領域の人的なサポートがあってこそ初めて成功したプロジェクトであった。特に東大薬学部の三浦先生、現在北大に移られた山口先生、東大理学部の白崎先生らの協力がなければこのプロジェクトは成功していなかった。またプロジェクトの途中でさまざまな難問が出現したにもかかわらず、なんとか論文の採択までにいたることができたのはひとえに村井助教の頑張りだったと考えられる。このプロジェクトは2014年に私が東邦大学医学部生化学講座に赴任してから始まり、最初に論文を投稿したのが2017年6月であり、最終的にはアクセプトが2018年10月であった。このプロジェクトは丸4年半もの年月がかかったことになる。現在はダイイングコードの班が終了する前にこの論文を上梓することができ、多少なりともこの領域に貢献できたと安堵しているところである。


参考文献

  • 1. Murai S, Yamaguchi Y, Shirasaki Y, Yamagishi M, Shindo R, Hildebrand JM, Miura R, Nakabayashi O, Totsuka M, Tomida T, Adachi-Akahane S, Uemura S, Silke J, Yagita H, Miura M, Nakano H. A FRET biosensor for necroptosis uncovers two different modes of the release of DAMPs. Nat Commun 2018;9:4457.
  • 2. Nakano H, Murai S, Yamaguchi Y, Shirasaki Y, Nakabayashi O, Yamazaki S. Development of novel methods that monitor necroptosis and the release of DMAPs at the single cell resolution. Cell Stress 2019;3:66-69.
  • 3. Shirasaki Y, Yamagishi M, Suzuki N, Izawa K, Nakahara A, Mizuno J, Shoji S, Heike T, Harada Y, Nishikomori R, Ohara O. Real-time single-cell imaging of protein secretion. Sci Rep 2014;4:4736.
  • 4. Liu T, Yamaguchi Y, Shirasaki Y, Shikada K, Yamagishi M, Hoshino K, Kaisho T, Takemoto K, Suzuki T, Kuranaga E, Ohara O, Miura M. Single-cell imaging of caspase-1 dynamics reveals an all-or-none inflammasome signaling response. Cell Rep 2014;8:974-982.

 (新学術領域ダイイングコードニュースレターNo.4 2019年1月)

ゴードンリサーチカンファレンスに参加して -Cell Death Mediators in Normal and Disease Physiology-2018年12月01日

 英語を母国語とする国を訪問するときに常に思い浮かんでくる自分への問いかけがある。それは「もし自分が英語を母国語とした国に生まれて教育を受けていたら、自分の研究のレベルはもっと高かっただろうか?」という問いである。
今回私は2018年8月5-10日まで米国メーン州のNewryというスキーリゾート地で開催されたCell Deathについてのゴードンカンファレンスに参加すべく、米国に出張することになった。そこでついでにサンフランシスコに立ち寄り、順天堂大学医学部免疫学講座時代の知り合いの 榧垣伸彦博士を訪問することになった。米国サンフランシスコにあるバイオベンチャー企業の草分けのひとつであるGenentech社は薬の開発だけでなく、数々の優れた論文を発表する企業としても有名である。まず最初に驚いたことは、サンフランシスコ空港の周辺がバイオベンチャーのオフィスやホテルの建築ラッシュであることであった。日本の企業の武田薬品も一時期この場所に研究所を持っていたが、現在では撤退しており、その建物はGenentech社が買収しているらしい。 訪問して驚いたのはGenentech社での研究は完全に分業化されており、例えばlarge prepをやろうと思えば、大腸菌をcultureしたペレットを持って行けば、担当の部署の人間がやってくれるということであった。cDNAをとる場合にも、よほど長い遺伝子でなければPCRなどせずに、合成オリゴを受注するとのことであった。また榧垣さんの下にはスタンフォード大を出て既に博士号を取得している優秀な技術員が4〜5名おり(技術員の給料を聞くと、日本の大学教授より高給なのにさらに驚いた)、榧垣さん自身はほとんどその人達に指示を出すだけということであった。さらにラボには大量に研究のための試薬などの消耗品のストックルームがあり(まるでお店のよう)、必要であればそこから消耗品を取っていくということであった。遺伝子改変マウスもこの遺伝子の欠損マウスを作成して欲しいという依頼をかけるだけで、CRISPR/Cas9法で作成してくれるらしい。このような研究環境は、研究者にとっては天国のような環境だが、それは成功し続けるこのとのできる一部の特別に優秀な研究者だけに与えられたものであり、ひとたび研究成果が出なくなると、自分の配下のポスドクや技術員も減らされ、最終的には会社を辞めていかざるえないような状況になるとのことであった。榧垣さん自身もずっとGenentech社でtop journalを出し続けることは難しいと考えているようで、この企業がダメであれば、また次の企業へと移っていくことに何ら抵抗がないようで、人間の流動性がやはり米国社会を支える源であることを再度確認するに至った。彼のボスであるVishva Dixit(ケニア系のインド人)のグループは細胞死研究やインフラマソームの研究で世界をリードする研究グループの一つであり、この研究室の榧垣さんやKim Newtonらが次々とNatureやScienceなどのtop journalへ論文を発表している。榧垣さんの話では、会社のboard membersの前でpresentationをし、そのメンバーの人たちが納得すれば100万ドル(日本円で1億円以上)程度の予算を確保することができるという話で、ENU のmutagenesisを用いたマウスの大規模スクリーニングを用いたGasdermin Dの同定は(Nature)、このような予算でまかなわれたということであった。
 今回の訪問では、VishvaとDomagoi Vucicは休暇で不在であったが、KimやDomogoiの下で働いているロシア人のEugene Varfolomeev、最近Natureに論文を出したドイツ人のポスドクのKlaus Heger、ハーバードで6年間PhDコースにいた中国人のポスドクのJieqiong Zhang、Cancer immunologyをやっているPIのAdita Murthyとdiscussionすることができた。またセミナーで発表する機会もいただき、SMARTと命名したネクロプトーシスのbiosensorを用いたimagingにセミナーの参加者は興味を持ってくれたようで、SMARTのトランスジェニックマウス作成しているのかという質問も受けた。その後榧垣さんにサンフランシスコ郊外のレストランに車で連れて行ってもらい夕食をご馳走になり、時差ボケも残る中、多忙な1日が終わった。
 翌日は昼の飛行機でボストンへと向かったが、ボストンに到着したのは午後10時をすぎており、baggage claimで今回一緒に参加することになっている大学院生の三浦君と落ち合い、二人で深夜のボストンの街をタクシーで、飛行場近くのモーテルまで行くことになった。運が悪いことに一緒に参加することになっていた村井助教は飛行機が遅れたために、我々よりもさらに遅くモーテルに到着し、その日は3人とも外で食事を取る気もおこらず、へとへとに疲れて就寝することになった。翌日は学会場(メーン州のスキーリゾートホテル)までボストンの飛行場の近くのホテルからバスで4時間かけて移動することになっていた。バスの発着場についたところ、今回参加することになっていた田中ラボの四元さんと一緒になることができた。バスを待つ会場でKimとばったり出会い、またオーストラリアのPeter Czabotarとまたこれも偶然出会い立ち話をしたりしながら、バス出発までの時間を潰す間に、バスの出発の時間になった。その後4時間をかけ、ボストンから離れた学会場に到着し、その日はWellcome partyとHenning WalczackとAndreas Strasserのkeynote talkが行われた。
 さて翌日からinvited speakersとsubmitしたabstractから選ばれた人間によるshort talkが行われた。予想通り日本からの参加者はそれほど多くなかったものの、私の研究室から私を含めて3名が参加し、日本人はinvited speakerの長田先生を含め3名しかoral presentationをする機会が与えられない中で、村井助教が選ばれたということは(もう一人は米国のラボに留学している日本人のポスドク)、我々のFRETセンサーを用いたネクロプトーシスのimagingに、知り合いでVice ChairをしていたFrancis K. Chanが興味を持ってくれたためと考えられた。学会場では活発な討論が行われており、初めて国際学会に参加した三浦君や田中ラボの四元助教も頑張っていたと思う。村井助教の発表には、RIPK1の機能解析を精力的にやっているPascal Meierが興味を持ってくれ、早速共同研究を始めることになった。最終日のバンケットでは、日本人が合計で8名参加していたこともあり、長田先生は終始上機嫌であった。私も海外の学会で写真撮影をすることなどこれまではほとんどなかったが、今回は長田先生、オーストラリアのJohn Silkeと一緒に写真を撮らせていただいた。
 この学会の最後の難関は、参加者全員が乗車することになっている翌日午前9時ホテル発のバスでは、その日に日本へ帰国する飛行機に搭乗できないことから、午前8時のボストンでの飛行機に搭乗するために午前2時にホテルを出発することであった。Francisにこのことを話すと彼はお金もかかるしcrazyだと言っていたが、無事に電話で予約したタクシーも到着し、全員が寝坊することなくボストンの空港に到着することができた。トランジットのシカゴ空港では、帰国の飛行機の便が違うにもかかわらず長田先生と通路で偶然出くわしてしまうというオマケまでついた。そういえば30年以上前にボストン博物館の中を歩いていたら偶然知人に出会ったことや、ニューヨークの空港で飛行機を待っていたところ、大学の同級生に会ったこともあり、私はもしかしたら自分の人生の運を人との偶然の出会い(出会いを熱望していない人)で消費しているかもしれない(長田先生すいません)。

 (日本Cell death学会ニュースレター 2018年12月)

第26回日本Cell Death学会を主催して 2017年10月16日

東邦大学医学部に赴任する直前に日本Cell Death学会前理事長の太田成男先生から、次の学会の会頭を中野さんがやりませんかというお声をかけていただきました。太田先生曰く、「中野さん、大きな学会の会長(私は別に学会の会長をやりたいとも思っていませんでしたが)をやる前には、小さな学会の会長をやるのは練習になっていいものですよ」というようなニュアンスのことを言われて説得されたように記憶しております。その時には赴任直後ということもあり、1〜2年後であればお引き受けいたしますと返事を差し上げたところ、今回学会頭をお引き受けすることになりました。
 皆様もご存知のように現在の日本の科学研究を取り巻く状況は日に日に厳しくなっていると思われます。国立大学の運営交付金が削減され、その結果として科学研究費を含めて外部資金の獲得のために激しい競争が繰り広げられております。当然のごとく大学の教員の数も削減せざるをえない傾向にあり、博士研究員のような臨時雇用にもかかわらず人聞きがいいということで特任助教などのポストが乱造される状況に至っています。この変化は大学にとどまらず学会の開催のための企業からの寄付金は広告費の減少、あるいは学会の参加者数の減少という形で学会の開催及び運営の困難さを招いています。この学会もこの例外ではありませんでした。当初の予想どおり企業からの寄付は非常に厳しいものでしたが、幸いにも私の恩師であります順天堂大学アトピーリサーチセンター長の奥村康教授、私の順天堂大学時代からの友人であります脳神経内科学教授の服部信孝先生のお声かけで、なんとか学会を開催するための寄付が集まり学術集会を無事開催することができました。心からお礼を申し上げます。
 今回の学会で目指したのはなるべく多くの方にポスター発表をしてもらい、かつ質の高い面白いシンポジウムを企画することでした。シンポジウムの座長として東京大学の一條秀憲先生、東京医科歯科大学の清水重臣先生、東京薬科大学の田中正人先生、京都大学の鈴木淳先生、高橋良輔先生、椛島健治先生らに素晴らしい企画をしていただきました。またFasの発見者で日本の細胞死研究の草分けであります京都大学の米原伸先生、哺乳類細胞のカスパーゼの最初の発見者であり日本の細胞死研究を牽引されている東京大学の三浦正幸先生に特別講演を賜りました。私事で恐縮ですが、今回シンポジストで発表していただいた方々の一部の方は、岡田泰伸先生が世話人になり1990年代の後半〜2010年まで岡崎生理学研究所で毎年1回行われた「細胞死研究会」にコアメンバーとして参加されていた人たちです。私もその研究会の末席に参加させていただき、毎年胃が痛くなるようなプレッシャーの中で発表するという貴重な体験をさせていただきました。現在ではそのような会を開催することができなくなってしまい、非常に残念でなりません。今後はこの日本Cell Death学会をハブとして、そのような会にすることができればと思っております。
 また今回は新しい企画として若手研究者をいかに海外に派遣して、活躍してもらうかについてのパネルデイスカッションを企画しました。昨年ドイツのケルン大学教授のManolis Pasparakis博士が私のラボを訪問し、セミナ−をしてくれた時に、ドイツではpromotionするためには外国に留学することが非常に重要だというような話をされていました。一方で、現在の日本では科学研究を取り巻く環境の悪化に伴い、海外に留学する若手研究者の減少や、外国のラボとの共同研究数が減少していることが問題になっております。これについては文部科学省も色々なグラントを新規に設けて、海外への若手研究者の派遣や海外との共同研究を促進しようと模索している状況です。今回のパネルデイスカッションでは、海外でポスドクとして研究をすることの素晴らしさなどを紹介していただきました。しかし、一方で海外からなかなか日本に帰国するときに魅力的なポストを日本の大学を含めた研究機関が十分に提供できていないのではないかという問題については、十分な議論ができなかったように思います。おそらく最も問題な点は、海外で仕事がうまくいかずに論文が出なかったポスドクに対して、日本の企業や大学などがポストを提供できるようなバックアップシステムを構築できていない点ではないかと思っております。研究の世界には当然競争の原理は必要ですが、敗者復活戦のような社会環境を構築しておく必要があると思われます。今後この点については、文部科学省、大学、企業や様々な学会を含めて十分検討していく必要があると感じております。
 最後になりますが、今回の学会は参加していただいた研究者の皆様、ご寄付をいただいた企業の皆様、また裏方として頑張ってくれた東邦大学医学部生化学講座のスタッフメンバー全員のおかげで無事終了することができました。最後に深謝したいと思います。また太田先生におきましては、貴重な経験をさせていただき有難うございました。

ネクロプトーシス ー現状と今後解明すべき問題点についてー 2015年12月28日

1. はじめに

制御された細胞死としてネクロプトーシスへと至る大筋の分子メカニズムが明らかにされ、ネクロプトーシスとアポトーシスとの相互の関連も含めて多くの謎が解明されつつある。本稿では簡単にネクロプトーシス経路を説明し、さらに現時点でのネクロプトーシスに関して未解決の点について議論したい。



2. ネクロプトーシス誘導経路

ネクロプトーシスの本来の定義は、セリンスレオニンキナーゼであるReceptor-interacting protein kinase (RIPK)1キナーゼの阻害剤であるNecrostatin (Nec)-1により阻害されるネクローシス様の細胞死である1。しかし、現実的にはRIPK1の下流に存在し、ネクロプトーシス誘導に関与するRIPK3やMLKL(詳細は以下を参照)に依存する細胞死(時にはRIPK1非依存性の場合もあるが)を総称して、ネクロプトーシスということも多い。TNFαが受容体に会合しても多くの細胞では細胞死が誘導されない。この場合には複合体Iと呼ばれる転写因子NF-κBを活性化する複合体が細胞膜上で形成される。複合体Iの形成には直鎖型ユビキチン鎖やK63型ユビキチン鎖などにより様々なアダプター分子、キナーゼ分子、ユビキチン化酵素などが会合してくるが、詳細はNF-κB活性化の総説を参照されたい。一方でタンパク質合成阻害剤であるシクロヘキシミド存在下でTNFαの刺激を加えた場合には、詳細は不明だが(おそらくcFLIPの発現が低下した結果)、TRADD/FADD/Caspase 8からなる複合体IIaが形成される2,3(図1)。一方で、IAP阻害剤(BV6など)やNF-κBの活性化が抑制された状況では、RIPK1/RIPK3/FADD/Caspase 8からなる複合体IIbが形成される。複合体IIaや複合体IIbが存在する状況で、さらにzVAD-fmkやcFLIPsなどのカスパーゼ8が阻害されると、RIPK1/RIPK3/MLKLと呼ばれるネクロソームが形成され、その結果ネクロプトーシスが誘導されることが明らかにされている。複合体IIaと複合体IIbにより誘導されるアポトーシスの質的な相違は、複合体IIbはRIPK1のキナーゼ阻害剤であるNec-1で阻害できるが、複合体IIaはNec-1によって阻害されないことである。両複合体ともにカスパーゼ阻害剤であるzVAD-fmk処理により、RIPK3の発現している細胞では、アポトーシスは抑制されるものの、ネクロプトーシスが誘導されることになる。例えばRIPK3の発現していないHeLa細胞ではTNFα + CHX刺激、あるいはTNFα + BV6刺激による細胞死は、zVAD-fmkで完全に抑制される。しかし、RIPK3の発現しているHT29細胞ではいずれの刺激においてもzVAD-fmkを投与すると、ネクロプトーシスが誘導され、Nec-1を同時に投与することで、完全に細胞死が抑制される。この現象は、in vivoにおいてどのような状況で複合体IIaが形成され、あるいは複合体IIbが形成されるかについての結論は出ていないが、アポトーシス阻害剤を投与する上での副作用を考慮する点で非常に重要である。
 一般的にアポトーシス経路はネクロプトーシス経路を阻害すると考えられ、ネクロプトーシスの誘導にはカスパーゼ阻害剤を併用することが多い。この理由としてはCaspase 8と細胞死抑制因子であるlong formのcFLIPがヘテロダイマーを形成することで、ネクロプトーシス誘導に必須の分子であるRIPK1, RIPK3やRIPK1を脱ユビキチン化する酵素であるCylindromatosis (CYLD)の機能を切断することで、不活性化するのではないかと考えられている2。



3. ネクロプトーシス ー現状と今後解明すべき問題点についてー


  • 1) 酸化ストレスはネクロプトーシス誘導に必須か? ネクロプトーシスという用語が使用されていないものの、最初にネクロプトーシスと思われる細胞死が明確に報告された論文の一つは、Vandenabeeleらの論文と考えられる4。L929と呼ばれるマウス線維肉腫をTNFαで刺激すると、ネクローシス様の細胞死が誘導された。その細胞死はbutylated hydroxyanisole (BHA)と呼ばれる抗酸化剤により抑制されたが、逆にカスパーゼ阻害剤でさらに促進することを彼らは報告した。我々は全く別のNF-κB欠損細胞を用いた実験から、酸化ストレス依存性に誘導されるネクローシス様細胞死を報告している5。つまりこれらの実験結果は酸化ストレス(少なくともBHAにより阻害される経路)がTNFαによるネクロプトーシスに必須であることを示している。しかし、その後HT29細胞をTNFα + zVAD-fmk + IAP阻害剤処理により誘導されるネクロプトーシスはBHAでは阻害されないことが報告され、現時点ではBHAでネクロプトーシスの阻害される細胞と阻害されない細胞の2種類が存在すると考えられる。ネクロプトーシスのさらなる理解にはBHAによる抑制効果を包含した新たなモデルの構築が必要である。
  • 2) RIPK1のキナーゼ活性に依存しない細胞死抑制機能とは? RIPK1はそれ自身でデスドメインを持っていることから、一過性に過剰発現させることで効率よくアポトーシスを誘導することが知られている。それにもかかわらず、RIPK1自身を完全にノックアウトしたマウスおよび細胞ではアポトーシスが亢進する。ひと昔前まではRIPK1はTNFαにより誘導されるNF-κBの活性化に必須であることが示されていたが、ここ数年の研究から少なくとも複数の細胞ではNF-κBの活性化には必要ないことが明らかとなっている。現在、なぜRIPK1自身をノックアウトするとアポトーシスが亢進するかについて様々な議論がなされているが、その理由として、メカニズムは不明だが、RIPK1の欠損によりcFLIPやTRAF2などの細胞死抑制分子がTNF刺激により早期に消失するという現象が指摘されている6,7。今後そのメカニズムの解明が待たれる。
  • 3) ネクロプトーシス、フェロプトーシス、パイロトーシスにおける細胞膜傷害 のメカニズムとその相違点について。 ネクロプトーシスは前述したようにMLKLと呼ばれる分子がリン酸化された結果多量体を形成し、細胞膜にポアを形成することで、細胞死が誘導される。一方で、カスパーゼ11依存性のパイロトーシスはGasdermin Dと呼ばれる分子がカスパーゼ11により切断され、その結果細胞膜に穴を開け、細胞死が誘導される7。さらにフェロプトーシスは細胞膜を構成するリン脂質の中の不飽和脂肪酸にヒドロペルオキシドが形成され生じると考えられるが、その最終的なエフェクター分子は明らかとなっていない8。このようにいずれのタイプの細胞死も細胞膜を最終的な標的にしており、これらの細胞膜傷害型の細胞死が誘導された結果生じる生体応答は、質的にどのように違いがあり、どれだけ異なった生体応答が誘導されるかについての解明が待たれる。
  • 4. 終わりに 制御された細胞死であるネクロプトーシスが分子レベルで定義されて以降、非アポトーシス細胞死研究は飛躍的な進歩をとげつつある。アポトーシスはプログラムされた細胞死であり、かつ発生過程において非常に重要な役割を果たししていると考えられるが、アポトーシス実行因子の遺伝子欠損マウスの表現型は、様々な臓器の形成という観点からすると驚くほど軽度の表現型しか程さない。事実男性におけるミューラー菅の消退は、アポトーシス不全マウスでも通常通りに起こる。このように発生過程におけるアポトーシス以外の細胞死研究は、今後の細胞死研究の大きな課題と考えられる。

第2回 Dying Code Newsletter 2016年3月号

参考文献

  • 1 Degterev, A. et al. Nat Chem Biol 4, 313, (2008).
  • 2 Pasparakis, M. et al. Nature 517, 311, (2015).
  • 3 Nakano, H. et al. Current Topics Microbiol Immunol in Press, (2015).
  • 4 Vercammen, D. et al. J Exp Med 187, 1477, (1998).
  • 5 Sakon, S. et al. EMBO J 22, 3898, (2003).
  • 6 Dannappel, M. et al. Nature 513, 90, (2014).
  • 7 Kayagaki, N. et al. Nature 526, 666, (2015).
  • 8 Yang, W. S. et al. Trends Cell Biol, (2015).
  • 図1. TNFαにより誘導される細胞死誘導経路。 多くの細胞ではTNFαは細胞死を誘導せず、NF-κBの活性化に関与する複合体Iを誘導する。TNFα刺激はシクロヘキシミド存在化では複合体IIaを誘導し、IAP阻害剤やNF-κBの活性化の障害された細胞では複合体IIbを誘導する。複合体IIaやIIbがzVAD-fmkやcFLIPsなどの存在化ではネクロソームが形成される。複合体IIaやIIbはアポトーシスを誘導し、ネクロソームはネクロプトーシスを誘導する。

研究者になる魅力をいかに伝えるか? 2015年7月16日

先日医学部のフレッシュマンキャンプに参加して、「研究の楽しさ」について講演をさせてもらうという貴重な経験をした。慶応大学の医学部などを除き、一般的な私立大学の医学部に入学する学生にとり、ほとんどは臨床医になるために入学してきたのだと思う。そのような入学直後の学生に研究の話をするのは場違いな感じはあったものの、一部の学生には多少は研究の雰囲気について理解してもらえたかもしれなかった。以前に研究医養成コースで講演した時もそうだったが、「研究者になると医者になるのと比べてどのようなメリットがあるか」という点を説得力のある形で学生に提示するのは非常に難しいと感じる。例えば、プリオンの研究で有名なStanley Ben Prusinerはノーベル賞を取るために、プリオンの研究分野に参入したと何かの本に書いてあった。また今日電車の中でたまたまネットを見ていたらPLoS Comput Biolにノーベル賞を取るための10か条という論文が掲載されているのを発見した (Roberts RJ. PLoS Comput Biol. 2015 Apr 2;11(4):e1004084.)。しかし「研究者になれば、ノーベル賞を取れるかもしれない」という説明は、説得力はあるかもしれないが非現実的な話である。
 ノーベル賞の話は極端だが、それでは若い学生を研究にリクルートする時に、研究をするとこんなにすばらしい人生を送れるというような具体例を、シニア研究者の我々は提示できるのだろうか?例えば、1) 研究すると外国の研究者とたくさん友達になれ、外国にも頻回に行く事ができる。2) 大きな研究費を獲得し、いい仕事をすれば新聞やメデアで取り上げられる。3) 教授になれる。4) 臨床医と違って自分で時間を調節でき、自分のアイデアで研究ができる。5) 自然界に存在する新たな真理を明らかにすることができる。6) 自分の考えでは予想もつかないような意外な発見(セレンデイパテイー)に巡り会える。など、色々とあるがこれはかなり順風満帆な研究生活を送れたらという前提条件がつく。デメリットをあげればきりがない。1) 生活が不安定であり、定職につくのが困難である。2) 働いている時間が不規則で、努力しても結果が出なければ評価されない。3) 教授や研究所の部長などに昇進できる人達は一握りであり、大多数の研究者は独立できずに研究者としての一生を終わる。4) 仮に独立できても研究費を継続的に獲得しなくてはいけないというプレッシャーが毎年のしかかる。
 個人的な話になるが、私の場合にはもっと卑近なことで家族を説得して研究を継続してきたという経緯がある。まず大学院を卒業して臨床にもどろうか、このまま研究を続けようか迷っている時に、たまたま東京にある大学の基礎の講座の助教としての就職口が見つかった。お見合い結婚した家内(東京生まれで東京育ち)には、もし臨床の医局にもどると田舎にとばされるが、このまま基礎の講座で研究を続けていれば、東京で暮らせると説得した覚えがある。これは今から考えると非常に姑息な手段だったと反省している。大学院時代にたいした成果をあげられていなかったにもかかわらず、その当時の自分がなぜ臨床医ではなく、研究者としての人生を選択してしまったかについては、現在でも明確な答えを思い出せない。そういえば小学生時代の卒業文集に「将来の夢は研究者」と書いた記憶があるが、数学者になる夢を自分の才能を信じることができずに断念し、医者になるという選択を私は高校時代にすることになった。私は運命論者ではないが、幼少時に「研究者になる」と宣言した時から、結局のところ遅かれ早かれ研究者としての道を歩む事が決まっていたのかもしれない。
 雑多なことを書いたが結論としては、若くて優秀な学生(医学生も含めて)を研究の道にリクルートするためには、研究者としての明るいビジョンを提示できるように社会全体のシステムを構築していかないとなかなか難しいだろうと思う。


生化学 第87巻第5号 649ページ(平成27年10月号)

人生を変えたある遺伝子との出会い 2015年6月14日

 村上春樹はスコット・フィツジェラルドについて次のような内容の文章を書いている。「僕がフィツジェラルドの小説に出会っていなかったとしても、小説家になっていたかもしれない。しかし、これだけは言える。もし僕がフィツジェラルドに出会わなかったとしたら、今のような小説を書く小説家にはならなかっただろうと。」。私にとってもこの事は言える。あのPCRのバンドのなかに新しいTRAFファミリー分子の遺伝子が入っていなければ、私は今のような研究者にはなっていなかったかもしれない。
 呼吸器内科医として、特発性肺線維症などのその当時(現在もそうかもしれないが)の医学のレベルでは治療困難な患者さんに多く出会い、臨床医としての無力さや限界を感じていた私はある日突然この閉塞状況を打ち破るためには大学院に進学し、基礎研究をしなくてはならないという決断をするに至った。その後大学院に入学し、臨床とはまったく関係のないT細胞受容体を介するシグナル伝達の研究に従事したが、はかばかしい成果もあげられなかったにもかかわらず、ひょんな事から1995年に順天堂大学医学部免疫学の奥村研究室の助教として採用されることになった。当時の奥村研究室はリンパ球細胞表面分子の機能解析が研究の中心であり、私の大学院時代の研究とは接点もなかったことから、当然のごとく赴任後は自分一人で一から新たなプロジェクトを立ち上げることになった。大学院時代の経験から、ある分野のシグナル伝達の研究に新参者が入っていくためには、新しい遺伝子を同定でもしないかぎり難しいだろうという実感をいだいていた。そこで、あまり研究の進んでいないTNF受容体のシグナル伝達の研究に参入しようと思い、その当時注目されつつあったTRAFファミリーに属する未知の遺伝子を同定しようと考えた。当時は、それまで全くブラックボックスであったTNF受容体を介するシグナル伝達の研究が黎明期を迎えようとしていた時代であり、日本でTNF受容体を介するシグナル伝達の研究をしている研究室はほとんどなかったと思う。TNFαやIL-1刺激がNF-κBを活性化することはわかっていたものの、そのメカニズムはまったく不明であった。
 私にとって幸運だったのは、大学院時代(千葉大学医学部高次研遺伝子情報分野)に、同じ研究所に所属していた稲垣暢也先生(現京都大学医学部教授)と知り合いだったことだった。彼らがdegenerative oligonucleotide プライマーを用いたRT-PCR法でチャンネル遺伝子のクローニングを次々と成功させていたことから、彼にそのこつを教えてもらい、新たなTRAFファミリー遺伝子を同定するというたった一人だけのプロジェクトを立ち上げた。最初の1ヶ月間はまったく既存のTRAF遺伝子しかとれず落胆していたが、サブクローニングの効率を上げるためにやむを終えず制限酵素サイトを付加したプライマーを使用したところ、PCRのbandsの中にTRAFファミリーに属する未知の遺伝子が存在していることが明らかになった。シークエンスの結果を解析し、どうもこれは新しい遺伝子だとわかった時の喜びを今でも覚えている。今では記憶にないが、もしかしたらこの遺伝子が取れて、とりあえず臨床医に戻らなくて良くなったと安堵したかもしれない。1995年4月1日に順天堂大学に赴任し、4月5日に最初のプライマーを注文し、新しい遺伝子断片が取れたのが5月25日であった。その後この遺伝子の全長のクローニングに相当な苦労をしたが、なんとか全長を同定することができ、TRAF5と命名し1996年に論文とすることができた。
 この遺伝子のクローニング競争には幾つかの懐かしい挿話がある。まず論文を投稿するために色々な機能解析の実験に苦労していた時に、私の知り合いの米国の共同研究者 (Carl Ware博士)から情報が漏れたらしく、David Goeddel博士(TRAF1, TRAF2をクローニングし、この研究領域では世界の第一人者であった)から私のところにメールが届き、彼らの新しく同定したTRAFファミリー分子(後にTRAF6と命名)の遺伝子の配列情報と我々の遺伝子の配列情報を交換しようということになった。もし私が情報の交換に応じなければ、彼らの遺伝子をTRAF5と命名して、先に論文にするというような脅しの文句も添えられていたと思う。また、1995年の冬の免疫学会で阪大の岸本先生が私のポスターの前に来て下さり、岸本先生のラボでも新しいTRAFを取ろうとしたが、うまくいかなかったと話されていた事が印象に残っている。ほぼ同時期に東大医科研の井上先生らもTRAF5をCD40に会合する遺伝子CRAF2として同定しており、重要な遺伝子(個人的にはTRAF5が今でもどの程度重要な遺伝子なのかを判断しかねているが)の同定は、必ず時をすこし前後して複数のグループによってなされるということを、この時身をもって実感することになった。少し後に井上先生とGoeddel博士らがTRAF6の同定に関する論文を発表し、TRAFファミリー分子のクローニング競争は幕を閉じた。TRAF5遺伝子の同定以降、私の研究は大学院時代の研究や奥村研究室の研究からは完全に独立し、NF-κBの活性化メカニズム、酸化ストレスや細胞死制御の研究へと現在まで続くことになった。
 最後に大江健三郎の「個人的な体験」という小説の中に、「人生には様々な分岐点があり、その数だけ多元的な宇宙が広がっている」と登場人物が語る場面がある。もちろん「人生の大きな分岐点の数だけ多元的な宇宙が広がっている」とは私は思わないが、そのようなものがあると仮定するならば、その中の別の宇宙では私はまったく違う研究をしているか、あるいは呼吸器内科医として働いているかもしれない。


(2016年東邦大学90周年記念 エッセイ集 平成27年6月14日刊)

細胞死研究の最前線 —制御されたネクローシス(ネクロプトーシス)— 2015年3月13日

Tumor necrosis factor(TNF) αは腫瘍壊死因子と日本語に訳されるが、皮肉なことにTNFαにより誘導されるネクローシスの分子メカニズムの大枠が解明されたのはごく最近のことである。長らくアポトーシスは計画的細胞死(プログラム細胞死)あるいは制御された細胞死と同義語のように扱われてきたのとは対照的に、ネクローシスは偶発的な細胞死(アクシデンタルセルデス)と考えられてきた。1998 年にベルギーのVandenabeele らはL929 とよばれるマウス線 維肉腫をTNFαで処理するとネクローシス様の形態で死ぬ事、またその細胞死は予想外な事にカスパーゼ阻害剤で逆に促進されることを報告した(Vercammen et al., 1998)。しかし、当時の多くの研究者はTNFαでネクローシスが誘導されるのは、L929 のような特殊な腫瘍細胞だけであり、制御された細胞死の中にカスパーゼ非依存性のネクローシスがあるとは考えていなかった。事実ヒト子宮頚がん由来のHeLa 細胞は、TNFα +タンパク質合成阻害剤で典型的なアポトーシスが誘導され、その細胞死はカスパーゼ阻害剤で完全にブロックされる。一方2000 年にスイスのTschopp らはJurkat 細胞の変異株を用いた研究からアポトーシスが抑制された細胞ではRIPK1 と呼ばれるNF-κB の活性化に関与するキナーゼ依存性にネクローシスが誘導されるという論文を報告したが(Holler et al., 2000)、この話もどれだけ普遍性のある現象なのかについて疑問を抱かれていた。
 TNFαにより誘導されるネクローシスの研究はその後しばらくの間大きな進捗はみせなかったが、2005 年に米国のYuan らがネクロスタチン-1 という化合物がJurkat 細胞で見られるTNFα依存性のネクローシスを抑制することを見出し(Degterev et al., 2005)、その後ネクロスタチン1の標的がRIPK1 であることが判明し(Degterev et al., 2008)、このRIPK1→ネクローシス(以下ネクロプトーシスと略す)という経路が一躍注目を浴びることになった。さらに米国のWang らが2009 年にTNFα依存性のネクロプトーシスの実行因子の一つがRIPK3 と呼ばれるRIPK1 と相同性を有するキナーゼであることを報告し(He et al., 2009)、TNFαからネクロプトーシスに至る経路に進歩がもたらされた。現在ではRIPK1→RIPK3→MLKL へと連続的にリン酸化が誘導され、リン酸化されたMLKL(シュードキナーゼドメインを持つアダプター分子)が細胞膜で孔(ポア)を形成することによりネクロプトーシスが実行されるというモデルが提唱されている(Vanden Berghe et al., 2014; Pasparakis andVandenabeele, 2015)。興味深いことに前述したアポトーシスしか誘導されないHeLa 細胞はRIPK3 の発現が欠損していることがその後の解析により明らかとなった。
 一方でTNF 研究に従事する研究者達の長年の大きな謎の一つは、1998〜2000 年に報告されたFadd, カスパーゼ8、cFlip などの外因性アポトーシス経路に関与する遺伝子の欠損マウスがなぜ胎生10.5 日で致死となるかについてであった(Yeh et al., 2000; Varfolomeev et al., 1998; Zhang et al., 1998)。この謎はネクロプトーシスに関与するRipk1 あるいはRipk3 の欠損マウスとこれらの遺伝子欠損マウスとを交配すると胎生致死の表現型がレスキューされることで明らかにされ、2011 年にNature に同時に3報の論文が掲載された(Kaiser etal., 2011; Oberst et al., 2011; Zhang et al., 2011)。つまり、外因性アポトーシス経路に関与するこれらの遺伝子の欠損により発生過程で生じるであろうカスパーゼ8 の活性化(これは推測であり本当に活性化されているかは不明)が阻害され、その結果RIPK1/RIPK3 依存性のネクロプトーシスが誘導され胎生致死となることが遺伝学的に証明された。現在ではネクロプトーシスは、虚血再還流障害、ある種のウイルス感染の排除、薬剤誘導性膵炎の発症、古典的なインフラマソームの活性化などの様々な病態に関与していることが報告されている(Vanden Berghe et al., 2014; Pasparakis and Vandenabeele, 2015)。
 このように制御された細胞死はアポトーシスだけではなく、ネクロプトーシス、ピロトーシス(須田の稿参照)、フェロトーシス(Dixon and Stockwell,2014)(今回は字数の関係で説明割愛)などの非アポトーシス細胞死が明らかとなってきており、今後はそれぞれの非アポトーシス細胞死の詳細な分子メカニズムの解明と並行して、非アポトーシス細胞死がどのような病態に関与するかを明らかにすることが重要であろう。それらの解析を通してある病態の治療にはその病態に関与する細胞死を選択的に抑制するような新たな治療法の開発が期待できると考えられる。今回採択された新学術領域「ダイイングコード」の領域内外の共同研究を通して、非アポトーシス細胞死の研究が日本国内において飛躍的に進むことが期待される。


日本免疫学会Newsletter 2015年4月10日 第23巻2号

TNF induces both apoptosis and programmed necrosis

参考文献

  • 1 Vercammen, D., R. Beyaert, G. Denecker, V. Goossens, G. Van Loo, W. Declercq, J. Grooten, W. Fiers, and P. Vandenabeele. 1998. Inhibition of caspases increases the sensitivity of L929 cells to necrosis mediated by tumor necrosis factor. J Exp Med 187:1477-1485.
  • 2 Holler, N., R. Zaru, O. Micheau, M. Thome, A. Attinger, S. Valitutti, J.L. Bodmer, P. Schneider, B. Seed, and J. Tschopp. 2000. Fas triggers an alternative, caspase-8-independent cell death pathway using the kinase RIP as effector molecule. Nat Immunol 1:489-495.
  • 3 Degterev, A., Z. Huang, M. Boyce, Y. Li, P. Jagtap, N. Mizushima, G.D. Cuny, T.J. Mitchison, M.A. Moskowitz, and J. Yuan. 2005. Chemical inhibitor of nonapoptotic cell death with therapeutic potential for ischemic brain injury. Nat Chem Biol 1:112-119.
  • 4 Degterev, A., J. Hitomi, M. Germscheid, I.L. Ch'en, O. Korkina, X. Teng, D. Abbott, G.D. Cuny, C. Yuan, G. Wagner, S.M. Hedrick, S.A. Gerber, A. Lugovskoy, and J. Yuan. 2008. Identification of RIP1 kinase as a specific cellular target of necrostatins. Nat Chem Biol 4:313-321.
  • 5 He, S., L. Wang, L. Miao, T. Wang, F. Du, L. Zhao, and X. Wang. 2009. Receptor interacting protein kinase-3 determines cellular necrotic response to TNF-alpha. Cell 137:1100-1111.
  • 6 Vanden Berghe, T., A. Linkermann, S. Jouan-Lanhouet, H. Walczak, and P. Vandenabeele. 2014. Regulated necrosis: the expanding network of non-apoptotic cell death pathways. Nat Rev Mol Cell Biol 15:135-147.
  • 7 Pasparakis, M., and P. Vandenabeele. 2015. Necroptosis and its role in inflammation. Nature 517:311-320.
  • 8 Yeh, W.C., A. Itie, A.J. Elia, M. Ng, H.B. Shu, A. Wakeham, C. Mirtsos, N. Suzuki, M. Bonnard, D.V. Goeddel, and T.W. Mak. 2000. Requirement for Casper (c-FLIP) in regulation of death receptor-induced apoptosis and embryonic development. Immunity 12:633-642.
  • 9 Varfolomeev, E.E., M. Schuchmann, V. Luria, N. Chiannilkulchai, J.S. Beckmann, I.L. Mett, D. Rebrikov, V.M. Brodianski, O.C. Kemper, O. Kollet, T. Lapidot, D. Soffer, T. Sobe, K.B. Avraham, T. Goncharov, H. Holtmann, P. Lonai, and D. Wallach. 1998. Targeted disruption of the mouse Caspase 8 gene ablates cell death induction by the TNF receptors, Fas/Apo1, and DR3 and is lethal prenatally. Immunity 9:267-276.
  • 10 Zhang, J., D. Cado, A. Chen, N.H. Kabra, and A. Winoto. 1998. Fas-mediated apoptosis and activation-induced T-cell proliferation are defective in mice lacking FADD/Mort1. Nature 392:296-300.
  • 11 Kaiser, W.J., J.W. Upton, A.B. Long, D. Livingston-Rosanoff, L.P. Daley-Bauer, R. Hakem, T. Caspary, and E.S. Mocarski. 2011. RIP3 mediates the embryonic lethality of caspase-8-deficient mice. Nature 471:368-372.
  • 12 Oberst, A., C.P. Dillon, R. Weinlich, L.L. McCormick, P. Fitzgerald, C. Pop, R. Hakem, G.S. Salvesen, and D.R. Green. 2011. Catalytic activity of the caspase-8-FLIP(L) complex inhibits RIPK3-dependent necrosis. Nature 471:363-367.
  • 13 Zhang, H., X. Zhou, T. McQuade, J. Li, F.K. Chan, and J. Zhang. 2011. Functional complementation between FADD and RIP1 in embryos and lymphocytes. Nature 471:373-376.
  • 14 Dixon, S.J., and B.R. Stockwell. 2014. The role of iron and reactive oxygen species in cell death. Nat Chem Biol 10:9-17.

ダイイングコードへの道 —キックオフシンポジウムを企画して— 2014年12月01日

まず領域略称の「ダイイングコード」とはダイイング(死につつある)とコード(暗号を解読する)を合成した造語で、映画のダビンチコードにヒントを得ています。11月13日に開催されたキックオフシンポジウムは156名という予想以上に大勢の人々に参加していただき、シンポジウムの準備をさせていただいた人間としてはほっとしております。これもひとえに特別講演をしていただきました長田先生をはじめ、座長の労をとっていただいた辻本先生、米原先生、三浦先生、一條先生の御陰と思っております。また、会場の設定に尽力していただたい東大薬学部の山口先生や三浦先生の研究室および東大分子生物学研究所の宮島先生の研究室の大学院生の皆様に深謝致します。シンポジウムの当日は領域代表の田中先生の領域の概略説明の後に、8名の計画研究代表者(須田、中野、袖岡、山口、田中正、安友、山崎、田中稔、以上敬称略)の発表とそれについての熱心な討論がかわされました。また長田先生の特別講演では、本当に重要な研究はまさに小説を読むよりも面白いということを再度認識させていただきました。長田先生の研究には毎回圧倒されますが、少しでもその研究のレベルに迫れるようにこの領域のメンバー全員で頑張っていきたいと決意を新たに致しました。シンポジウムの後の懇親会では米原先生、長田先生、内山先生、太田先生、三浦先生から励ましのお言葉をいただきました。その後懇親会は2次会、3次会まで続き非常に盛り上がったと思っております。
 せっかくの機会ですので、この領域立ち上げにいたるいきさつを簡単に説明させていただきます。ご存知の方も多いと思われますが日本の細胞死研究はこれまでに国際的に多大の貢献をしてきたにもかかわらず、タンパク質分解などの研究領域と異なり、特定領域の時代を含めても一度も組織立った領域の構築は行われてきませんでした。そこで、自分たちの研究費の安定的な確保と細胞死研究の領域の立ち上げを目指して有志が集まったのが7年前の京都大学でした。当初の予定では1年目にヒアリングまで行き、2年目での本採択を目指したものの最初の2年間はヒアリングにすら選ばれませんでした。3年目にようやくヒアリングに採択され面接にいったものの、ヒアリングに初めて採択されたということでメンバーの気持ちに油断が生じてしまい不採択でした。その後はヒアリングには採択されたものの、最終採択にはいたらないという事が4年続きました。
 その当時は前年度の審査委員に指摘された欠点を修正するために、メンバー数名を変更し領域計画を修正していました。そうすると次年度にはまた別の欠点を指摘されるという事の繰り返しでいた。当時の状況を例えるならば、電気のない暗い部屋で大きさのわからない絨毯を部屋の四隅に合うようにしきつめようとしている事に似ていました。私たちは部屋の大きさよりも絨毯は大きいだろうと思っていました。しかし、もし部屋の大きさより絨毯が小さいのであれば(つまり私たちの領域計画やこれまでの研究実績が新学術領域の採択にいたる基準以下であれば)、部屋に隙間なく絨毯をしこうとするのは永遠に無理です。私たちの試行錯誤の間に私たちよりも後から領域を立ち上げようとした人たちが次々と採択されて行きました。もしかしたら細胞死に関する領域は少なくとも現在参加しているメンバーの実力では、ヒアリングまでは行っても最終採択にはならないレベルかもしれないと悩みました。領域を立ち上げた人たちからは「3年連続で落ちても同じ領域を立ち上げようとしているのは、先生たちのグループしかいない」と言われたこともありました。今から思うとここまでこの領域の立ち上げに執着してこれたのは、領域代表の田中正人先生をはじめとして、領域の立ち上げを支援していただいた諸先生方の御陰と思っております。もしかしたら今年の審査委員の方の中には、7年間も継続して領域の立ち上げを企画しているグループだから、いいかげんに採択してあげようという意見があったのかもしれません。今回の経験から個人的には「折れない心」と「忘れることの大切さ」(つまり何度失敗しても落胆せずに、落胆したことを忘れて自分の信じる事に邁進すること)を再度認識する事ができました。
 今後はこの領域の活動を通して、細胞死研究にたずさわる若手研究者の育成や、日本の細胞死研究をさらに発展させるために微力ながら貢献できたらと思っておりますので、よろしくお願い致します。


第1回 Dying Code Newsletter 2015年1月号

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